『世界の「住所」の物語』読んだ

私は街を歩くのがすきだ。とはいえ美味しい飲食店や個性的な店に惹かれるのは二次的な理由である。お気に入りの古本屋を見つけても買わずに出ていく日が多々ある。
リアルでもインターネットでもそうだが、人が集まって内輪で個性的な文化を作っている、という光景自体に強く興味を持ってしまうし、なんなら物理学部に入学しようと考えたのもそれが理由になってしまっていた。

そういうわけで、帰省するときはショッピングでなく街歩き自体を目的にして遊ぶし、仙台の路地裏を自転車で漕ぐのが春休み中の趣味と化している。とくに東北学院大が移転してくる五橋は刺激的だ。ボドゲショップが有り、美味しいラーメン屋が路地に沿って数多く展開している。

このようなモチベを持っているときに見つけたのがこの本だ。

住所とは?

現代はグーグルマップがあるため機会は少なくなったが、私達が道案内をする時、どのように人に教えるだろうか?
「ディズスト(ディズニーストア前)ってどこ?」と聞かれて「宮城県仙台市青葉区一番町4丁目2−10です」と答えることのできる人はいるはずもなく、「駅でて右に曲がって直進」もしくは「ZARAの角を右に曲がって歩けばすぐ」のように 目印 を用いて案内を行っている。
本書によると、実際に古代ローマでは公文書でさえ住所はなかった。道に関する微妙なニュアンスの違いの豊富な語彙があり、有力者は立派な建物を建てることで 目印 として自身の権力を誇示できた。

本書によると、現在のように家の一つ一つに番号が割り振られたのは近代国家の形成と深く関わっているとの記述が、自分にとってとてもおもしろかった。現代のように中央政治機構が地方の村々の人民一人ひとりを管理できるようになったのは、よく考えたらすごくない?本書では徴兵制と結びついて始まった歴史だったり、「そもそも人に番号をつけるのはどうなんだ!」という当時の人民の話、すごくよくないですか?ここお気に入りです

そもそも欧米では住所には通りの名前が付き、日本のように道は区画と区画の間の空間ではない。しかも道に歴史上の人物の名前をつけがちと来たらそれはもう大変なことになるし、この本では人が争いまくる。それぞれの住所の歴史においてキーパーソンとなった人物の短編が挿入され、この本の副題の通り「通りに刻まれた起源・政治・人種・階層の歴史」についての大河が展開される。ここもすき

結論として普通に人に勧めたい本だった。著者のディアドラマスクさんは新聞で通りの名前についての記事を執筆しているらしく、彼女の経験に基づいた体験や思想も反映されている。歴史や人物、彼女の私的な体験等がごちゃまぜになっているがとても読みやすい。また、翻訳を行った神谷栞里さんのあとがきも本書で読んでよかった部分の一つだ。読み終わって検索したところこの本が初めての翻訳本っぽいことに驚いたし、楽しみな翻訳家をはじめて見つけた気分になりうれしかった