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 C.H.Haskins「大学の起源」
別の本を借りようとしたら、隣に「大学特集!」みたいな感じで並んでいたので手にとった本
以前読んだ文系理系の文庫と比べると内容は13世紀に限り、また内容も内包しているのでこの本を読む意味は殆どに人にとって存在しないけど
特筆すべき特徴は「学生の悪口」
「学生たちの心は泥沼に浸かり、もっぱら司教座聖堂参事会員としての収入と世俗的なことがら、また自分の欲望をいかに満たすかということに向けられている」
「訴訟好きで喧嘩好き、彼らのいる場所に平和はなく、武器をもって歩き回り市民を攻撃し女を辱める
居眠り・居酒屋・手引書←教授のために宴会を開きなさい、父母へ現金をせびるための手紙、
学生の詩ゴリアルド詩 ちゃらんぽらんしか文を残さない。優秀な人ももちろんいる
中世も現代も変わらんよっていういつものやつ
参考文献改題では王の発布した文書。学生は想像以上に保護され特権を与えられている
少なくともこの本から先へ調べる目的がない場合、ほとんど意味をなさない本。学生の悪口の語彙がほしい人にとっては必読の書

「科学に魅せられて科学を見失う」
弦理論批判本。取材した教授たちは自分の形容する「物理学の美」について自身の経験だの便り名定のをしっかり認識してて普通に穏健的だった。章はいくつか別れているが、構成としては物語のようにだんだん深部に迫っていくわけではなく、それぞれのトピックにつて考え、著名な物理学者にインタビューし、結論は同じ
・データがぜんぜんたりない
・美は経験的感覚で、歴史のように美が必ずしもうまく行く結果を生み出したわけではない(量子論も非直感的で美しくないらしいが、うまくいってるからなあ)
結論はどれも似通っているし面白くないが、文の細部や現在の状況を話している文、各研究者へのインタビュー(レポ?)は十分面白いし、そとからだとなかなか情報を手に入れることのできない物理界隈の今について知ることが出来る点で優れている
実際自分も「ILCもつくる予定なさそうだし超対称性粒子見つからないし万物理論は後追いで入るには厳しく、それこそアインシュタインになる気概ないと無理そうだなあ」って感じになってしまった。十分影響されている
私と同い年の方々や大学1,2年の方々は是非読むと損しない本だった

デビルマン crybaby
ゴジラSPを見るためにnetflixへ契約していたので視聴した!
私は映画やアニメ、さらには小説までもそれ単体では評価対象にならないと思っておいて、むしろ二郎系ラーメンを食べるときと全く同じでその時の自分の思想や体調、時間帯、作品の鑑賞姿勢がそのまま100%それらの評価に関わらざるを得ないと思っています。よって作品を語るためには客観的な方法はなく、自分を語らなくては行けないという世界観です。よってこのアニメの感想は(少しだけ)自分を語らなくてはいけません。

自分は何事においても量をこなせる人間ではないので、(自分の声質のせいで仕方なく)物理の教科書であってもできれば1冊、学術系の本でも1冊読めばほとんどわかる、といった本をゆっくり読み込まないと勉強をすることが最近はできなくなっています。その流れで映画などの作品についても、登場人物の行動から少しでも得るものがないと耐えられません
[補足]いやいやアニメの中には意味なくだら~と垂れ流して楽しむものが(むしろ今は)多数派だろうという意見もありますが、私にとってそれはtwitchのスーパープレイの配信をみることになっています。もともと萌えアニメ系を見慣れておらず、また等速倍速にせよ自分で時間の流れを操ることのできない媒体についてはひどくストレスを抱えてしまうのでガルパンですら1話の10分で見れなくなってしまいました。ずっと自分に響く刺激があるとうれしいので最近はMADかスポーツしか見れてないですし、多分演劇も適正ありそうな気がしますが映画館・家でのアニメ・映画鑑賞は最近は本当に無理な体になってしまっています。

補足に書いたとおり飽きさせない要素があるとむしろ評価が反転し、その要素はデビルマンcrybabyで言えばラップ・エロ・デビルマンの歌、ゴジラSPであれば怪獣・有能しかおらず常にうまく行き続ける登場人物・キャラデザなどなのでしょう。そのどれもが響かない場合いわゆるnot for meで、最後の砦がシナリオなのですがネトフリアニメってビジュアルや画は他と違うものをつくっているんですけどストーリーはまったく保守的なんですよね。今回のcrybabyで言えば演出(美樹さんは汚れのない完璧聖人で厳かにお亡くなりになり、丁寧な回想をはさみながら泣き虫と煽ってた了が亡骸を片手に泣きながら天使軍団を迎え撃つシーンなんてええ……となってしまいました。

でも細かく見ていけばどのシーンのあとに対比としてこのシーンが!さっき言ったように了が泣いてアニメが終わる!タイトル回収やったあああああなど拾える小ネタはたくさんあり、立場が違うと大傑作だと主張しうることも十分理解できています。そこはヴァイオレット・エヴァーガーデンやシンエヴァで感動できるかできないかで自分は大別できると考えていて、逆にこれら2作品もしくは映画で言えばレオンが好きなひとはcrybabyも好きだろうと私は確信していますし、これらに引っかかる方々にはぜひ見ていただいて歓喜の感想を拝見できたらうれしいなと感じています。
その流れで原作版のデビルマンも漫画版が図書館で借りることができたため読みました。crybabyさんは想像以上に原作に沿ってたのね。メロドラマみたいな演出が合わなかったって話だと思ってたけど原作もファイアパンチ見た時ほどの驚きはなかったような気がする

原作を読んでいて一番悲しくなった場面は、牧村美樹さんが首だけになって主人公が人間でいる意義を失い、あろうことか悪魔とデビルマンとで戦争を仕掛けようとする場面でした。戦わないでくれ......
彼らは人間を失ったのになぜ戦うのか?ついさっき戦いの意味を失ったのに?意味がない!つまり、彼らは悪魔の本能である闘争心に完全に支配されていて、天使が下りてくる前に「悪魔の本能」として同士討ちをしている。赤チーム青チームみたいなものでデビル"マン"は人間への所属をもはや意味していない。彼らは間違いなく悪魔の存在なのだ。

デビルマンと合体した明は完全な悪魔になり、了は愛する人を失い、悪魔は同士討ちで大きく数を減らし、もはや天使が成すべきことは残っていない。

 

今は積んでる青騎士1,2A,2Bと民謡の本「あいたくてききたくてたびに出る」を読んでいます。後者に関しては、ここ1年SF小説をよもうと努力しいろいろ本を読みましたが小説でないこの本がここ1年読んでよかった本ベスト1位になりそうな気がするので後で感想書いて他のかたに紹介したいなという思いがあります。

できれば自分のことを言っているのに一般論のことを述べているように(読者にだけ)みえる文章にあこがれてます、最近だと木下龍也さんの短歌指南本がまさにそれで、ジャンプの編集者も「この本は漫画にも通ずる!」と語ったのを木下龍也さんのRTで拝見したので、この方は本当に言葉がうまいひとなんだなあと関心した経験があります。

終わり!!!おわりおわり